MAKO

Words

I sometimes feel desire to eliminate everything by painting over with white on my artwork. This strange desire might be caused as one reaction for the opposite strong desire for expressing something with colors and features. Those contradicted desires also transform to the other strange feeling to touch something not with my fingers but through my eyes. In another word, I want to touch and feel anything through my eyes, rather than merely to see something through my eyes. Those complicated feelings drive me to make my artworks. For me, artwork is not a thing to see but one to touch and confirm by the fingers in my heart, and to exhibit my artworks to viewers enables me to give my invisible hands to touch with their own inner fingers.

中学二年生の時に、ベトナム戦争という現実があることを知り、子供ながらに様々な葛藤や混乱、挫折をへて自分の生きる道を模索し、その後の50年余りも紆余曲折とともに生きてきました。丁度その中学二年生の夏に、私は人の心の中の声を表現するものとしての「美術」というものに出会い、自分でも油絵を描き始めました。しかし、職業的な美術家というものを目指したわけではありませんでした。

28歳の時、ニューヨークの美術館で出会った一つの作品が私の人生を変えた思いがしました。それは、ユダヤ人の女性の彫刻家でニーベルソンという人の、黒い彫刻作品でした。街で拾った壊れた家具や空き箱の残骸を集めて構成し直し、全体を黒のペイントで塗り込めた結果、そこに現れたのは超現実的な圧倒的な存在感を持つ神殿のような作品でした。この作品を観てから、私は理屈も計画も世の中の常識も批判も一切関係なく、自分の作品を作り続けることを始めました。

当たり前の話ですが、私も「物質」を使って作品を作り続けています。この行為は、数千年前の古代人の壁画や彫刻から、現代に至るまで多くの人の行為としてあるいは作業として営まれてきたものと思います。「物質」は人の精神や希望や感情よりもはるかに強い永遠の存在ですが、それを用いて行う「表現」の行為にも意味がないとは言えないから、むしろ意味を見出そうとして人は作り続けるのだと思います。私が他人の作品を観て力を得たように、私も作品を通して、他の誰かに語りかけたいのです。足りないのはいつも「時間」です。この「瞬間」しか、人は持ち合わせていないのですから。

“LIFE”の動画制作によせて
2021.5.6 ヒラノ マコト

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